ウラヘドロン SPECIAL 「太田裕美 スタッフ」番外編 2/3
丸山:
はい。制作のことを少し話さないと。
白川:
むしろその、何て言うの、今言ったように渡辺プロっていうハンディもあったんだけど、やっぱりほらね、筒美京平と松本隆じゃない。
他の人たちはみんなほら、拓郎にしてもイルカにしてもみんな自分で詞曲両方書くかていうシンガーソングライターの時代だったから
大変だったんじゃない、二人は。要するにそういう世界の中にそれを放り込むちゅうのが。
聞き手:
でも白川さんが戦われてたところもすごいんじゃないかなと思うんですけど。アルバムのリリースを見てると、シングル1枚出すと
すぐアルバムが控えてて、またシングル2枚あるとその次全曲集が控えてて、またシングル1枚出すと...
白川:
年に2枚ぐらいアルバム作ってんだよな。あれ、この前何かBOX出すんでインタビュー受けたんだけど、もう覚えてないアルバムが
随分あるんだもん。でもこうツッパてたからやっぱり、なんていうの、今言ったようにヒット曲だけを集めたとか、ヒット曲の
残りをアルバムにするとかってコンセプトはほとんど全部やってなくて、最初っからアルバムのために全部作ってた。シングルは
一応入れてたんだけど。まあだから、よくもこんなたくさん作ったよなあ、みたいな感じはありますよね、今から。
藤岡:
オリジナル2枚のベスト1枚は結構守ってたもんね、アルバム、年間。だってコンサートやっててもさ、テレビ出ててもいつも何か
レコーディングしてた気がするもん。そのレコーディングのスケジュールを切ってたような気がする。
丸山:
四六時中レコーディングしてた。
藤岡:
四六時中。
聞き手:
だいたいコンセプトアルバムの人って1年は絶対温めて、そのぐらいのローテーションで動くのが、ほんとに半年で動いてます
ものね。
白川:
まだ自分で作ってないからもあるんだよ。だいたいほら、人に頼んでっから。だけどまあ、レコーディングはよくやったよね。
藤岡:
ほとんどレコーディングだったよ。
聞き手:
その辺って例えば、全曲集を要望する販推、営業とのせめぎ合いみたいなものっては?
白川:
当時そんなことないよ。意外と無かった。
丸山:
常識だもん。アイドルはもっと出したもん。
藤岡:
そう、アイドルはもっと出したもん。
丸山:
だから同じ時期に俺は山口百恵さんを横で見ながらやってたじゃない。山口百恵さんはシングルが3か月おきに1枚切りますよね。
その3か月に1枚切るというのは、酒井さんは1枚のシングルを切るために候補曲を10曲ぐらいレコーディングしちゃうわけじゃ
ない。それでそん中でいちばんいい曲をシングルに切る、ていうのがあるから一発必中でシングル出してるわけじゃないよね。
9曲まだ残りにシングルになり損なった曲があるから、それまとめて1枚アルバム作るじゃない。そうすると山口百恵さんは
アルバムはオリジナルアルバムだよね、4枚のシングルを出すために40曲録ってるってことだよね。で、4枚のアルバムができ
ます。それからテレビで赤いシリーズをやってるから、赤いシリーズのサントラ盤があります。それから伊豆の踊子等々映画を
やってるから映画の主題歌があります。それに全曲集が2枚出ます。そうするとね、山口百恵さんって8枚ぐらい何年間の間はね
アルバム出てるんです。もうだからね、営業なんて大変だよね。山口百恵を受注しない月は無い、っていうぐらいだから(笑)。
だからそれに比べれば、太田裕美さんはせいぜい全曲集とオリジナルの2枚だから、少ないって言えば少ないよな。
聞き手:
ですねえ。当時の常識からすると(笑)。
丸山:
だから全曲集を出すということについて我々そんなにプレッシャーは無くて...
白川:
プレシャーは受けたわけでも何でもない。
丸山:
まっ、そうだろうなと思って出してたよね。
聞き手:
最近、全然太田裕美さんと離れちゃうんですけども、最近のヒット曲出すボーカリストってやっぱり同じ近いローテーションで
出してますよね。
丸山:
それはね、もうごく単純なのよ。つまりメディアを何を使うかっていうことになってて、基本的にテレビを使うようになると
ローテーションは短くなるわけ。だから太田裕美さんが終わってから俺はエピック始めて、ミュージシャンに対してテレビの
出演をあんまり重要視しないというやり方をとったじゃない。そうすればね、基本的に言うと、テレビを使わないと曲が浸透する
まで時間がかかるから何ていうの、3か月ローテーションなんかとてもそんな風にはできないわけ。だけどテレビを使うとどう
なるかというと、3か月も歌い続けられないじゃない。同じ曲をね、また4ヶ月5か月も歌ってたらね、あのバカまだ同じ曲
歌ってるようになるわけだから、基本的に言えば、新しい曲、新しい曲って必要になるわけだから。だから、テレビを使うって
いうのは、いかに怖いかっていうのはね、逆に言うとそれで3年ぐらいテレビに出続けると、客の方が飽きるじゃない。だから
テレビ使うっていうのは即効性はあるけれども、やっぱり疲弊度、疲労度が早くなる。だから今はまたみんながご時世もあって、
テレビを使って早めにやっていきたいっていうのがスタッフもミュージシャンもそう思ってるから、テレビを使おうと、いう
ふうになってるじゃない。
聞き手:
太田裕美さんの場合もかなり立ち上がり「雨だれ」が40本近くっていう、すごいテレビの本数、当時でもやっぱりすごい本数
だと思うんですけど、片一方でコンサートの本数っていうのも破格に多いですよね。
藤岡:
だから両方やんなきゃいけなかったんよ。
聞き手:
それは、コンサートの本数ってのはある程度意図して増やして?
藤岡:
そりゃやっぱりね、向こうにある部分ニューミュージックっていうような匂いの中にやっぱり吸い込のを、匂いだけじゃすぐ
ばれちゃうからさ、だから実際にやっぱり消化していかないといけないから、コンサートは出たよね。入れるとこは、どっか
空いてないって言っても向こうの台帳見ながらやってたから、ユイの台帳を(笑)。はいここ、ここ大丈夫とか。
丸山:
ただまあ負担ははね、つまりソロじゃないじゃない。メインは向こうは、例えばイルカさんだ、こうせつさんだ、コータローさんだ
っていうのがメインであるから、簡単にいくゲストっていう感じでやってたからね。だから後半、それがユイがひとっきりついて
から今度は、ジョイントコンサートはトップギャランと裕美さんは組んで、森田公一とトップギャランの時は完全に半分半分に
なったよね。
藤岡:
2枚。
丸山:
だから2枚看板のコンサートやったから、これは結構大変だったと思うんだけど、ユイのミュージシャンのみなさんとやらして
もらった時には若干負担は少なかったよね。
藤岡:
ただやっぱりあのコンサートってさ、ルートで切っていくのがいちばん効率いいわけじゃない。こっちはテレビもやってるからさ、
ルートで切っていけないのよ、ユイの学園祭の時は。だから結構往復が多かったね。行ったり来たり、行ったり来たり。北海道
行って九州行ったりとか。北海道地区をこういうふうに切れればいいんだけどね、千春みたいにこういうふうに切っていければ
いいんだけどさ。
聞き手:
ジョイントの人は正しくルート通りに行く。
藤岡:
そうそう。これが縫うわけだから。あの頃ポリシーも何も無かったからね。こうせつとやったり、ユーミンとやったりさ、構わず
だもん。
聞き手:
遠藤賢司ていう...
藤岡:
泉谷しげるの前の舞台もやったね。
聞き手:
泉谷しげる、遠藤賢司がジョイントで名前が挙がってたのは驚きましたけど(笑)。
白川:
すごい組み合わせだね。
聞き手:
当時の泉谷しげるとか遠藤賢司って聴かれたことあります?
藤岡:
もちろん、もちろん。そらあもう、さんまも好きだったしさ、ただ、泉谷の曲はあんまり好きじゃなかったけどね、俺は。ただ、あの
頃はやっぱりちゃんとメッセージ持って若い奴に受け入れられてたじゃん。そこで太田裕美...まっいいかみたいな(笑)。聴かせりゃ
いいやってのはあったよね、このスタイルをね。
丸山:
だから、じゃあそれは一体何の役に立ったかというと、明らかにアルバムが通常の、さっき言った百恵さんのアルバムよりもはるかに
売れてたからね。だから今の笑い話があるんだけど、今GLAYのマネージャーやってる真下さんとか、あの辺と大ゲンカになったこと
あるわけ、白川と、もうほとんど。で、向こうは矢沢神様で当時。でもその時に矢沢のアルバム同じソニーでやってたんだけど、
「雨だれ」のアルバムの方がよけい売れてたんだ。それでどっちが偉いかってバカな話して(笑)。それで悔しかったら太田裕美のアル
バムよりよけい売ってみろみたいな喧嘩ふっかけて、逆上して、原宿の通りで交番の前の、あるでしょ、あの反対側でほとんどさ、
殴り合いになりそうになってたからね。若かったよね(笑)。
聞き手:
でもたぶん、フォークからニューミュージックで、ニューミュージック・ラインは、やっとチャートに入ったり、商業的に成功した
けど、まだロックっていうのが成功...
丸山:
そうそうそうそう。まだ成功してる時期じゃないんだけど、陽水だ、拓郎だ、こうせつだってのは、ボーンとミリオンヒットに近い
アルバムを売ってて、ロックはまだそこんとこまで行ってなくて、そこの間隙にスーッと太田裕美が20万、30万というアルバムを
シングルがね、「雨だれ」って何枚だったかな、30万枚ぐらいじゃないかな。アルバムがほとんど同じぐらい売ったからね。その
アルバムが売れたっていうのが何なのかって考えると、何ていうのかな、いわゆるフォーク愛好家たちの支持を受けたってことかな。
聞き手:
たぶん、ロックとして成功したいと思っていた真下さんとしたら、もういちばんこの売れ方が気に入らないんだっていう典型になった
んですかね。それとも...
丸山:
いやそれはない、全然問題ないんだけど、単にその場の”あや”だよね(笑)。
白川:
そんな深い喧嘩ふってない。
丸山:
そんな深い話じゃない。酔った挙句にね。
聞き手:
山口百恵さんもアルバムがコンセプトの匂いがしはじめたのは最後の3枚とか、きっとそれぐらいですよね。
丸山:
たぶんそうだと思う。それまでやっぱり基本的に歌謡曲っていうのはシングルのヒット命だから。
藤岡:
そうだね。
丸山:
アルバムを売ろうなんてコンセプトは全然無いよね。
聞き手:
いちばん最初の始まりのこのプロジェクトっていうか、人間関係の始まりのところで、いわゆる渡辺プロっていうのはもうそう
いった意味ではものすごく大きい会社で、CBSソニーもそれまで大きい会社でしたけど、変な言い方なんですけどあえてその
会社の中でいわゆる新人のこの2人のコンビを藤岡さんの方からいちばん最初に選んだ理由って?
藤岡:
さっき話したけど、やっぱりだからたぶん主流じゃなかったんだよ。
丸山:
俺たち主流じゃないからB級チームよ、誇り高き(笑)。
藤岡:
ある程度もう渡辺プロの中でもアイドルぼーんと出しても思ったように売れない時期に来てたよな。
聞き手:
何かその、ふっと匂いがするのが、渡辺プロとCBSソニーって会社と会社がくっついたって、歴史を紐解くとそういうふうにしか
見えないだろうなと思うんですけど、例えばこういうふうに話を聞いてみると、何か会社と会社っていう枠よりも個人と個人が
くっついてる匂いってのがものすごく強い気がするんですけど。
藤岡:
あえてだって、渡辺プロとCBSソニーがあえて組んだっていう前提はないもん、最初から。ただ、あれはまだいってなかったよな、
渡辺晋の会議は。
白川:
行ってない、行ってない。
藤岡:
行ってないよね。これやり始めてあれ出るようになったんだよね。だからほんとに中曽根さんの方の、からのルートだよ。中曽根さん
が渡辺プロの入り口にいた人だから。
聞き手:
一応そこがCBSソニーと渡辺プロを...
藤岡:
いとうきよこもそうな。
聞き手:
で、ここに太田裕美っていうもう一つの...
丸山:
そうそう、別ラインができた。
藤岡:
それがソニーに自動的にオファーがいくような形にはなってたね。中曽根さんにも当然これ見せてたし、最初はみんな。
丸山:
かと言って、藤岡さん俺知らないからね、それまで。
藤岡:
知らないんだもの。
丸山:
知らないんだもの。
聞き手:
あっ、それまでは知らず...
白川:
そうそう。
藤岡:
俺、丸さんも知らないんだもの。
丸山:
知らないんだもの、飲んだこともないもん。
白川:
飲んだこともないもん。太田裕美ってのが出てきて、どうだって見せられて、”ま、いいかあ”みたいなそういうな感じなんだ
こっちも。”すごいやあ”と思ったわけでも何でもないわけだから。
聞き手:
藤岡さんって割合こう会社の中で、渡辺プロの中ではなくて、私がEPICソニーにいた時代にも、ふらりと来て全く知らない新入
社員がいても、ポイッて声をかけてアイスキャンデーの1本でも出して...
丸山:
そうそうそう、餌付けがうまいんだよほんとに(笑)。
聞き手:
じゃあ当時も白川さんに声をかけられたのは、もうほんとに、スッと行ってスッと声をかけてっていう感じ?
白川:
いやねえ、誰かね宣伝のね誰かが連れてったんだよね。紹介されたのがメイツって場所だから。
丸山:
だから中曽根さんがダメで、それでその次に、次っていうんで、宣伝担当は、渡辺プロの宣伝担当は加藤哲さん、今のViewsic社長が
宣伝担当だったの。それで加藤さんと藤岡さんは大仲良しなの。もう夏には海に行く仲だから、一緒に。バカな海に行くんだけど。
なんで、藤岡さんの新人っていうのが引き取り手が無いっていうんで、それじゃ中曽根さんがダメだったら白川さんっていうんで、
白川をたぶんメイツに連れてったんだと思うんだよね。でもね、その中で1個だけあるのはよくわかんないけど、加藤は天地真理の
担当で、キャンディーズの担当で忙しいってのがあって、それで宣伝担当をよくわかんないけど、あそこでブラブラしてる丸山が
いいんじゃないかっていうふうに目を付けたのは藤岡さんだからね。だから大親友の加藤は忙しいから、あいつは仕事たぶん太田裕美
のためにはしてくんねえじゃねえかと、メインがあるんだから。だからそうじゃないやつを使った方がいいっていうふうに頭を働か
したのが藤岡さんなのよ。
藤岡:
何か、営業でって会われない昔から、販推?
丸山:
そうそう。
藤岡:
販推の人ってあんまり付き合いがなかったのよ。だからね、きっかけはともあれ、始めてから地方対策、営業所対策とかさ、ああいう
のはすごく勉強になったよ。知らなかったもんね。営業って興業師しか知らなかったから。
丸山:
プロダクションから見た時に、レコード会社の営業っていうのはブラックボックスだよね。でほら、営業部員ていうのは200人近く
いるわけじゃない。200人の連中に指示飛ばすと一応ハイっと振り向いてくれて、一応話聞くってことをできる人間だっていう
あれを捕まえるのは悪くはないなってメリットは感じたらしい。
藤岡:
営業っていうのはすごいあれになった。だからこれ出てからもね、まあ外は今まで通りマスコミ関係はできるんだけど、営業だけは
俺にブラックボックスだったから、営業にはしょっちゅう行ってたよ、東京営業所中心にね。あとだから、曲出るたんびに全国の
営業所のスケジュール切ってもらって、そこで色んなニンジンをいっぱい持っていったりとか、色んなことしながら。営業の力って
いうのもすごいよな。
丸山:
営業の連中と飲み会をやたらやる。なんしても飲み会の好きな人なのよ。飲み会をいやがらない人だから。
藤岡:
人間知ってりゃさあ、ちょっともう一枚レコード置いとこかってなるじゃない。太田裕美と前さ、メシでも一緒に食ってりゃさ。
そこだよね。そのパワーって俺、絶対すごいって思ってたから。まだレコード店がほらこんな偉ばってる時代だから。レコード屋の
おやじが。何枚置いてくれるかっていうんでさ、だからこれはもう、営業所のセールスにもう一枚余分に置かせるっていう作業は
これはもうエコヒイキしかないと、いうのがあったね。これはもう本能的になんかそんなあった。営業所は行ったね。
丸山:
渡辺プロって強くて、渡辺プロのマネージャーって天下取ったみたいな人が多い中で、どこの店にレコードが入ってないってレポート
を上げてきちゃ会社に乗り込んできて怒鳴り上げるってのが、これが渡辺プロのやり方だったのに、同じ渡辺プロの中にそういうこと
一切言わないで、”オイオイオイ、何やん、何やん”全部やんにしちゃうのよ、丸さんとか。
藤岡:
榎ちゃんとかね(笑)。
丸山:
そういうふうに、ちゃんとか何とかいうふうにして、それで一切力で押してこなくて、基本的には時間取られるんだけど飲もう
飲もうっているアプローチってのは受けるよねえ。
藤岡:
各ソニーの営業所にねえ、営業所のあるところの飲み屋には必ずボトル置いてあったね(笑)。
聞き手:
それは札幌から...
藤岡:
行くところで所員一緒に行くからさ、地方のラジオ局まわり終わって...
丸山:
それで金払ってるの誰なの?それを聞きたいよ(笑)。
藤岡:
それは砂糖ぐらい(笑)。
白川:
そうだよね。
藤岡:
多分その頃は営業所払ってんじゃない(笑)。プロモーションは基本的にさ、タレントさんが行くのはさ、あの頃は他のところ
だったら当たり前だったのかな。行って営業所でキャンペーンして帰るのは。
白川:
キャンペーンはしてたけどね。終わってから飲みに行くのは...
藤岡:
飲みに行かなかったよね。それをやったのよ。だから裕美をよく知ってくれてたよね、普通のタレントさん以上にね。愛着は持って
くれてたよ各営業所ほど。宣伝の営業の連中がね。レコード店行く連中が。だからもういつも行って、営業所着く、しゃべくる、
今日のスケジュールを聞く、ずっとまわる、終わる、次飲み会もちゃんと全部スタンバイしといてもらって所員も全部来てもらって
できる人はね、そこで我々盛り上がる、でまた今度よろしくねって帰ってくるっていうの繰り返しだったね。あそこも何かよく行った
ね、出張所があったなんか、営業所に昇格してない所、金沢とかね。
聞き手:
金沢と沖縄が。
藤岡:
沖縄もよく行った。各都市にボトルがあったよ(笑)。
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