ウラヘドロン SPECIAL 「太田裕美 スタッフ」番外編 1/3

聞き手:大崎尊生氏

(タイトル)
太田裕美さん、ウラヘドロンSPECIALをお送りします。太田裕美さんのドデカヘドロン、それからスタッフバージョンのウラヘドロンは
もうアクセスされていることと思います。今日からお送りしますのは、ウラヘドロンSPECIAL。1975年太田裕美さんの初代スタッフ。
マネージャー、制作ディレクター、そして宣伝担当者、3名の方に来ていただいております。当時の音楽シーンの事情、どういうふうに
仕事が進められ、面白い話が聞ける時間になります。
(出席者紹介:丸山茂雄氏、藤岡隆氏、白川隆三氏)

聞き手:
今日はウラヘドロンSPECIALという番組でお送りします。ご参加いただいた方、通例によりまして自己紹介を僭越ながらお願いします。

丸山:
自己紹介は、昔のね。それは藤岡さんから始まる。

藤岡:
昔のだから。渡辺プロで太田裕美のマネジメントしてました藤岡です。

白川:
CBSソニーで太田裕美の制作担当ディレクターをやっておりました白川です。

丸山:
その時に私は、太田裕美の宣伝担当をやっていた丸山です、よろしく。。

聞き手:
今日は、メインの方のドデカヘドロンという番組が、ここと並行して太田裕美さんの番組が走ってるんですけど。

丸山:
なるほど。

聞き手:
それをアクセスしてくれた人が、同時に興味を持ってこっち側にアクセスしていただくと、面白い話が聞けるという時間にしたいと
思います。

白川:
裏の?

聞き手:
そうです。それでウラヘドロンと呼んでいます。え〜と、入り口のところでいくつか話を振らせていただいて、あとはもう盛り上がって
いただければ、というふんに思います。白川さんが、制作の仕事を始められて初の新人ていう形で太田裕美さんを手掛けらてましたけど
それ以前はニューミュージック関係の人とのつながりがとても多い...

白川:
まっ、吉田拓郎さんとかユイ音楽工房とかの関係の営業担当みたいなことをしてた。

聞き手:
営業担当?

丸山:
白川さんと私は二人とも営業にいたんですよ。それである時期に営業から二人ほど制作と宣伝に放り込もうという会社の、だから今の
うちの会社よく営業から制作とか宣伝に移るんだけど、それの二人は第1号なんだね。で、第1号で制作担当で、営業から移ったのが
白川で、宣伝で俺が移ったの。

聞き手:
なるほど。それまでの、今例えば営業だとどっちかというとレコード屋さん...

白川:
今でいう販推をやってたの。

聞き手:
あっ、販推だった。

白川:
販推だったんで、比較的、もちろんそれは渡辺プロとかホリプロとか当時からすごい力を持つプロダクションがあって、いわゆる
芸能界て言われるところもあったんだけど、当時ほらやっぱり山本コータローとかさ、それから吉田拓郎とかニューミュージック
の畑があって、結構そっちが好きなもんだから、ポスター作ったりなんかするわけじゃないですか。で今のフォーライフの社長、
元ユイの後藤とかとすごく仲良くしてた、ていうことを聞きたいんじゃないの?

聞き手:
ええ。で、それを背景に太田裕美さんていう...

白川:
そんな背景は全くないですよ。

聞き手:
全く関係なく?

白川:
いや、たまたま藤岡さんが太田裕美っていうタレントがいるんで、見てくんないかって言われて、メイツに見に行ったんだよな。

藤岡:
そうそう。前、渡辺プロでね、あの当時、今でいうライブハウスみたいなのをやってたもんだから、そこでわりと新人なんかいつも
オーディションしたり、あるいは新人レベルでライブ体験させるような場があったのね。そこに結構自分がいいなと思うのはそこで
やらせて、で色んなメーカーの人たちを呼んで、”どう?”っていうような場に使ってたの。その中の一人で太田裕美が...

白川:
ほんとに?

藤岡:
そうそうそうそう(笑)。

聞き手:
藤岡さんが太田裕美をCBSソニー白川さんに見せてみようって思ったきっかけていうのは?

藤岡:
まあね、太田裕美の背景自体が渡辺プロの中でね、今までの渡辺プロダクションがやってきた中尾ミエさんじゃない、園まりさん
じゃない、そういう連中からきてて、演歌も含めてね、そういうアーティストがいっぱいいた中で、自分自信の音楽の興味がね、
フォークソングの方にあったから、フォークソングからニューミュージックっていうちょうど流れが変わる時代だったもんで、まあ
この太田裕美...

丸山:
まあ、これは考えてないと思うんだけど基本的にはね、藤岡さんは洋楽が好きだったことは事実。

藤岡:
要するに渡辺プロの従来の土壌では、できてくるアーティストにあんまり俺はもう興味がなくなってきてたの。ま、そのことよりは
大塚博道っていって一応とりあえずはフォークソングの連中はちょっとセクションをね、NONSTOPっていうちょっと渡辺プロの中なんだ
けど変えて...

丸山:
それ嘘。NONSTOPはそのあとだもん。

藤岡:
そのあとだっけ。

丸山:
そうだよ。太田裕美うまくなって恰好ついてから...

藤岡:
いや、違う違う。あったあったの。大阪にあった。

丸山:
大阪にあった?

藤岡:
そこはわりとあの、R&B系とかブルース系の向こうがやってたのよ、大阪の方では。

丸山:
だからこっちは、基本的に言えば本気でやってるんよ。今スペシャーの社長やってる中井が、それはもうほんとに確信犯でやってたん
だけど。藤岡さんはさあ、それほど確信犯的ではないと思うよ、俺は。ただね、洋楽は好きだった。これは俺認める。

藤岡:
でね、拓郎なんかとも知り合う前にね、そういう土壌はあった。確かにその、ニューミュージックぽいところは。渡辺プロの中でね。
でこの素材見た時さ、これこのままアイドルじゃちょっとつらいなという、ルックスからしても何からしても、声質からしてもさ。
ただ、この子がちょっとよかったのはピアノが弾けるってのが1つあったから。だから、ま、しばらくピアノの弾き語りだけで
やらしてたよね。メイツで延々。で、その1世代前に小坂明子さんなんかのピアノの弾き語りがあって、結構イメージ的にはああいう
のも渡辺プロなんかでも一応いいなとは思っていたから。だから、ま、そこまでニューミュージックどうのこうのいうよりも、今
までのが飽きてたのが本音かもしれない。渡辺プロから今から出てくるアーティストとがね、ほとんどもう1つの色に染まってた
から。それ以外のことはなかなかできなかったからね、バンド1つにしてもロックにしても。その時にちょうどね、今でも覚えてん
だけど、丸山さんとね、六本木で飲んでる途中かなんかしてる時に、後藤由多加を紹介してくれるっていう話になってた。

丸山:
もうねえ、話のねえ、順番が全部逆になってるのよ(笑)。

白川:
相当古い話だからね。どれが正しいか実はわからない。

丸山:
ほんとの正しいことを言うと、ほんとの正しいことは、渡辺プロの主流っていうのは、同じ時期にデビューしてるんであって、それで
そのデビューした新人の方が主流で、太田裕美は2番手だったわけね。

藤岡:
そうだね、誰だっけ。アグネスチャンか?

丸山:
違う。もうアグネスチャンは売れてたんだもん。

白川:
アグネスチャンは売れてたね。

丸山:
中村有子さん、「夜汽車は東へ」。テイチク。

藤岡:
だね。

白川:
だね。

丸山:
そう。で、そういうすごく曲がよくて声がよくて、いうのがあったんだけど。ていうのがありました。で、その2番手ていうのを
担当してて、それで最初白川は全然新人だから。で渡辺プロの担当マネージャーっていうのは、天地真理、キャンディーズやってた
中曽根さんだったんだ、うちの会社では。

白川:
ディレクター。

丸山:
そう。担当ディレクターがね。それで、中曽根さんは太田裕美に手を挙げなかったんだ。

聞き手:
あ、なるほど。

それで白川が、じゃ僕がやるって手を挙げた。これがね、ほんとの正しい姿で。前の話は加工すぎるんだもん、こんなこというと。

藤岡:
で、結局のところ、何年前になるの?

丸山:
結局のところ、だからタレント、マネージャーは渡辺プロからさほど期待されてない。レコード会社の方では、新人のディレクター
だから期待してない。宣伝担当は営業からきたばっかりだから、全く期待されてないチームだったの俺たちは。

聞き手:
ええ。

丸山:
これがねえ、正しいほんとのあれなんだね。

聞き手:
たぶんその、新人だらけの中でいちばん長けてらしたのは藤岡さんかなと思うと、藤岡さんの中にどういう思惑があったのかという
のは...

丸山、白川:
長けてない、長けてない(笑)。

藤岡:
計算はなかったよ。

白川:
長けてないよ。藤岡ねえ、全然働かないやつで。で、担当なってから一生に一回ものすごく働いたって未だに。もうみんな...

丸山:
あの時だけだもの。

白川:
あの時だけ働いたのよ。それまでは全然長けてないもん。

聞き手:
そんなもん私に...

全員:
ハハハハ(笑)。

丸山:
コミュニケーションとるのはメチャうまいじゃない。だからコミュニケーションに忙しくて、本来の目的忘れてコミュニケーションが
メインになっちゃうって、うちの会社にもたくさんいるじゃない。本来の仕事の目的を忘れて、コミュニケーションだけとって、
給料もらって。

白川:
ま、早い話がマスコミの人と毎晩酒飲んで顔は広かったっちゅうことだね。それが、太田裕美でめちゃくちゃ...

丸山:
一気に生きたわけよ。だからね、そこでもう何かの目的で生かすかどうかだよ。

全員:
ハハハハ(笑)。

藤岡:
そういう気がしてきた。なるほど、そういうふうに整理していきゃいいんだ。

丸山:
完璧にそうだった。

白川:
いやあ、よく働いたよほんとに。

藤岡:
そういうあれだったんだろうな、なんか...

丸山:
だから、太田裕美の最初のデビューしてすぐの時にはスケジュールなんて真っ白だね。何にも決まってないわけね。だけど、それでも
何となくみんながいいねって、こう1つ1つ言い出してくれたらば、そのあと他のタレントのスケジュールを太田裕美に変えたわけね。
それはねもう、ほとんどオセロゲームのように変えてったのよ、この人が。

藤岡:
その頃、さっき言ったみたいに本命がちょっとあんまり出てこなかったせいもあるよ。

丸山:
あれが出てたら辛かったね。本命の動きが悪かったから。

聞き手:
本命がある程度見込みで押さえていた色々な枠...

丸山:
枠とか、あるいは求人の枠やら色々あるんだけど、これはどうもちょっと芽がありそうだなっていった時に渡辺プロが勝手に変えるわけ
にいかないじゃない。それは局も同意しなきゃいけないわけでしょ。だからそれも気持ちよく同意してくれたのは、この人の力だよね。
もう10年以上ほら、ただやたら酒飲んでさ、みんな仲良しだから。

白川:
それはすごい生きたのよ。

丸山:
生きたのよ、その時に。

白川:
だからね、俺今でも覚えてる。「雨だれ」だけで1か月のテレビが確か40本ぐらい入れたような気がする。当時は歌番組あったんだ、
結構本数が。たぶんね、1か月目か、その1曲目かは忘れた。けど、すごい拾ったよね。

聞き手:
月曜日の昼間ぐらいから...

白川:
いやもう普通の日の昼間からあるもんね。

藤岡:
銀ナウ見てない頃でもやってたよね、時間帯でも。なんでもいいや...

丸山:
で、さっきの後藤由多加さんと何で知り合ったかっていうと、最初スケジュール真っ白なんで、ごくあたま1か月はもう何にも
スケジュール決まんないわけ。何にもなくて間がもたねえな、っていうのがあって。その時にこの3人はだいたいねえ、3時頃
までこの人は局の人たちと飲んでるわけ。

聞き手:
えっとそれは、午前3時?

丸山:
午前3時。

聞き手:
はい。

丸山:
3時にだいたいオールナイトの深夜番組が終わって、四谷のスナックにこの3人が集まるわけ。そこで今日の成果を報告しあって
明日は誰んとこ、誰とまた飲むかって話をそこで決めてたね。それを2年ぐらいやったのかな?

白川:
2年ぐらいかねえ。だって、場所がドンコビッチからペニーレーンに変わって、プレイバッハにまでいったわけだから。2,3年
やってたね。毎晩飲んでた。もうさあ、領収書がこんなにあるんだもん。

丸山:
それで、この人絶対領収書切んない人なんだ。

藤岡:
伝票切らない。伝票処理能力なしってやつだから。

聞き手:
それはもう面倒くさいから(笑)。

丸山:
単なる支払い係な。

聞き手:
藤岡さんがペニーレーンとかそういうところへ顔のぞかせるように...

丸山:
だから、間がもたないからどうしようかてのがあって、それじゃあ、俺は太田裕美さんをやる前にニューミュージック専門のプロ
モーターだったの。で俺はアーティスト担当30何人抱えてたの。石井さんが2人か3人で。そのうちあのマネージが気に入らない
とかで全部おっつけられて。石井さんは2人か、森田公一とトップギャラン以外やんなかったからね、あの人。

聞き手:
あっ、そうだったんですか。

丸山:
ひどいんだから、もうほんとに。あと全部俺におっつけたの。で、俺はだからそういう意味でいうとユイとも親しかったというのも
あって、それでユイとちょっと組もうじゃないかという話になってから、ちょうどいいところに六本木のテレ朝通り、向こうから
後藤由多加がやってきて...

藤岡:
そうそうそうそう、覚えてる。

丸山:
喫茶店に引きずりこんで...

藤岡:
近くにあった喫茶店にとりあえず入れ込んだのよ。

丸山:
それで、”太田裕美を学園祭に出せ”ってわけわかんないお願いをしたわけ。それがペニーレーンに出入りするきっかけだもん。

藤岡:
だから後藤にしてみりゃさ、ニューミュージックの今、絶頂にあるわけじゃない。学園祭のスケジュールなんてほとんどもう、
あそこで仕切ってたようなものだったから。だからあいつさえOKって言えば、とりあえず前座でもなんでもいいから、スケ
ジュール出してくれるに違いないっていうことで、まっ、一回あっちの方でもやらないとまずいねって。この素材を太田裕美を
持っていったらやっぱり、渡辺プロってことでさ、すげえ向こうもその、拒否反応があってね...

丸山:
だから、後藤さんと丸山、白川、藤岡は一応それでこおったんだけど、現場に行ったら、もう渡辺プロは大芸能界じゃない。だから
現場はもう嫌がって。なかなかその、本来スケジュール切ってあるはずなのに、現場がそんな話聞いてないから...

聞き手:
もう、ぎくしゃくするじゃなくて聞いてない?

丸山:
聞いてないになっちゃう。

藤岡:
スタンバイもしてないしさ。

丸山:
例えばあの、学園祭でいうと、あたま:イルカ、トリ:こうせつっていうふうに決まってるとすると、それでもうパッケージ終わっ
てるわけじゃない。突然その前に前座で太田裕美弾き語りで一曲っていう話を聞いてないよ、ってなっちゃうよね。

藤岡:
来るってもの聞いてないって(笑)。あのカワグチなんかね、行ったらさ、カワグチさん呼び出して、実は社長から聞いてらしゃる
とは思うけど、今日前で歌わしてもらうことになってる太田裕美ですって紹介したら、”はっ?”みたいになっちゃってさ、それで
”いや聞いてないですね”、”いや、でも確かめてください”って言って。で、確かめたら社長からもやれる分はやったげてよ、
みたいなこと言われたらしいの。それで、しょうがない。でももうパッケージはできてるからさ、向こうは。しょうがない、ピアノも
全部スタンバイしてあるじゃない。ところがさ、ピアノの弾き語りの人がいないから、端っこにあるわけだよ、ステージの端っこに。
で、幕開けてやるわけにも、向こうもまだ見せたくないみたいなことで。結局さ、揉めて揉めて何とか一曲ってんで、緞帳の前まで
ピアノ持ってきてさ、緞帳上げられないっていうんだ、向こうは。しょうがねえな緞帳の前でもいいや、ってことで、ピアノだけ
移動させてもらうって、ピアノを持ってきて、そこで歌ったよ。でも何か、お客さん訳わからないんだよな。

丸山:
プログラムにも書いてない。

藤岡:
何にも書いてなくてさ。

聞き手:
でも当時のフォークコンサートだと...

丸山:
まあそれでもいいんだけどね。でもね、もうそろそろね、割とパッケージでちゃんと組み始めてる時代に入ってきたよね。それよりも
2年前だったらね、そんなのへっちゃらだけど。もう照明や何かがさ、割とちゃんと入り始めた時期だから。

藤岡:
もうニューミュージックも商売してたから、ちゃんと。

丸山:
唐突にだよね。その2年前ぐらいだったら照明も会館の照明しか使わないじゃない。ホリゾンの後ろが真っ白で、寂しい時にはブルー
にぎやかな時は赤、それで終わりだもん。そういう時代だったんだけど、もうちょっと進化してたからね。そういう時期だからちょと
厳しかったことは厳しかった。ただね、偉かったのはね、これじゃマズイっていうんで、そっからまた藤岡さんの得意技が出たわけよ。
これはどうもあいつらを仲間にしなきゃいけないっていうんで、そっから一気に銀座から飲み場所をペニーレーンに変えて、毎晩毎晩
みんな集まるから。

藤岡:
現場とアーティストと絶対これ親しくならないと、裕美自体がねダメだし、俺だけじゃダメだと思って。俺も裕美も連れて、何回か
裕美も連れて...

丸山:
何回かじゃない、毎晩だよ。

白川:
得意のコミュニケーション。

藤岡:
一緒にね。PAのね、まだこれやる前のね、運ぶ人から皆集まってるから、スタッフの溜まり場だからさ、そこへ構わずいっちゃった
よね。その頃は結構金使ったよね、最初は。

丸山:
それはないよ。

白川:
でも、すごかった。もうだから、そっからね、半年ぐらいしたらもうすごかったよ、現場は。すっかり有名になって、現場の支持を
得まくってね、逆になっちゃったよね。

藤岡:
もう、えこひいきしてくれるんだもん、PAでも何でもさ。”もう一本マイク入れよか”みたいな(笑)。そんなのピアノに一本しか
入れてくれないのにさ、レコーディングみたいに3本ぐらい入ってんだよ、マイクが。

聞き手:
でもそれ、太田裕美がいちばん人間関係で助かったんでしょ。

藤岡:
うん、助かったっちゅうか...

丸山:
あの子もねえ、頭のいい子だから、こちらの作戦を瞬時に理解したよね。だから、そのあとにお友達、この音楽業界でお友達は?
っていったらば、いちばんなのはね、あの人は東京音楽学院出身だから同期ってのはキャンディーズとかあの辺がみんな友達なんだ
けど、それを友達とは一切言わないもんね。

藤岡:
そっちの色出さなかったね。

丸山:
吉田拓郎さん、山本コータローさんとか、全部そっちの名前しか言わない。そんなの教えたわけでも何でもないのに、もう本人が
それをきちっと。でも確かに友達だからね、毎晩飲んでんだから。だからそういう分では、その時点ではもう明らかにみんな友達
にしちゃったよね。

藤岡:
あれはでかかったよね。それで、そういう場に出ていけばさ、一般のユーザーの方の見方もね、そっち寄りの匂いがついてくる
じゃん。こうせつなんかとみんな一緒にジョイントコンサートやってるから。コンサートの後半になったら、2枚や3枚看板で
できてたから。もうちゃんとこう、プログラムに太田裕美って入るようになったからね、ユイのプログラムに。ユイも自分の
ところの荷物として、渡辺プロのじゃなくて、太田裕美っていう荷物として自分たちの...

丸山:
ちょっとお願いしますけど、一般の方が見てるんで、荷物っていう業界用語で...(笑)

藤岡:
ユイのカタログの中に太田裕美を入れてくれて、それで各学園祭にセールスしてくれた、あるいは通常のコンサートもね。あの頃は
ソロでやるよりも、だいたい2組か3組ぐらいでやる学園祭やコンサート多かったから。それに全部○△したから、あっという間に
コンサートで埋まったよね。

丸山:
そういう、まだ当時はコンサートっていうのが、今みたいにソロのコンサートっていうのが少ない。

聞き手:
そうですね、ジョイントコンサートが...

丸山:
ジョイントコンサートが、多かったから。あとはほら、まだ当時は営業っていう時代でしょ。渡辺プロの...

藤岡:
そうそう、興業だったね。

丸山:
興業だから、今みたいにデビューしてちょっと売れたらすぐソロのツアーを組むっていうのはないよね、その時代。で、ほんとに
アルバムっていうのを、コンセプトアルバム作ったのは、ニューミュージックじゃなくて、歌謡曲じゃなく。歌謡曲じゃコンセプト
アルバムってのはまだない時代だから、太田裕美さんの最初の「雨だれ」っていうアルバムが純粋のシンガーソングライターじゃ
ないわけじゃない、のコンセプトアルバムの第1号だよね。たぶん日本の歴史上。

白川:
どうかな、かもしれないね。よくわかんない。

丸山:
あとは、みんなシングル盤の寄せ集めか、シングル盤候補でシングル盤になんなかった曲を生かして作ったっていうアルバムって
いう時代だったから。そういうぶんではね、太田裕美さんていうんは随分新しいことを色々やったわけね。

聞き手:
太田裕美さん自身も、たぶん今でも歌ってられる背景に、出してきたアルバムってのが全部コンセプトアルバムで、ちゃんと自分
なりにカルチャーがそこにあって立脚できてるって、今でも歌ってられるとおっしゃってました。


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